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日本の茶文化について

  • What's so special about mountain-grown Japanese tea? - yunomi-jp.pro

    山で栽培された日本茶の何が特別なのでしょうか?

    Yunomiのサイトでお茶のセレクションをご覧になっている方は、「山茶」と表記されているお茶を目にしたことがあるかもしれません。お客様から山茶についてお問い合わせをいただくことがありましたので、今日はこの話題について触れたいと思います。 たとえば、顧客から次のような質問がありました。 「山で栽培された」日本茶と通常の(おそらく高原で栽培された)日本茶の主な違いは何ですか?味や栄養素などにどのような影響がありますか? まず、日本では歴史的に、平地で栽培された茶畑よりも山で栽培された茶の方が美味しいと古くから考えられてきました。実際、日本の主要茶産地の多くは、霧や霞が立ち込める山岳地帯や、川の上流域に位置しています。 熊本県芦北郡柘植集落にある、山々に囲まれた梶原茶園の茶畑。写真は梶原茶園提供。 山茶の秘密の成分 これまでのブログ記事でも触れてきましたが(関連記事へのリンクは下記をご覧ください)、大きな理由の一つは、山岳地帯では朝晩の気温差が大きいことです。平地の茶畑に比べて、山岳地帯の茶畑では日照時間が限られています。そのため、山岳地帯の茶畑では茶葉の芽の成長が遅くなり、結果として茶摘みの時期も遅くなります。これは、お茶の品質にとっていくつかの点で良いことです。 うま味が増す:新芽の成長が遅いため、茶葉に含まれるうま味(甘味)成分がより長い期間にわたって培われます。 苦味が少ない(これもまた、うま味の増加につながります!):日照時間が短いため、山で育った茶葉はカテキンが少なく、アミノ酸が多く含まれる傾向があります。苦味と渋みが抑えられることで、うま味が豊かになります。 山の香りが強い:最後に、香りはお茶の品質を左右し、茶葉が栽培された自然環境に大きく左右されます。山岳地帯から出る香りが最も良いと言われています。これまで日本茶の香りをあまり気にしていなかった方は、次回はお茶の香りをじっくりと味わってみてください。 山の斜面にある茶畑=水はけがよく、風通しが良い 山茶のもう一つの利点は、水はけがよく風通しの良い場所でよく育つことです。実際、冷たい空気は斜面を流れ下り、平地では滞留しやすいのが一般的です。歴史的に、多くの茶園が山の斜面を有効活用してきたのも、このためです。ここでの明確な課題は、斜面に茶園があることで、茶農家にとって茶の栽培がより困難になることです。さらに、茶農家の高齢化に伴い、傾斜地の茶園は残念ながら耕作放棄地になりつつあります。 京都府和束町にある喜六茶園の茶畑は傾斜地にありますが、女性農家の人々はそれをものともせず、茶作りに励んでいます。写真は喜六茶園提供。 こちらは、福岡県八女市の山間に広がる、美しく傾斜した茶畑(まさに収穫したて!)です。写真は千代乃園茶園提供。 テロワールを尊重する 上記に挙げた要素は、山茶が美味しいと言われる主な理由です。しかし、もちろん、気候、豊かな土壌、茶樹を大切に育てる茶農家、そして茶葉を加工する加工業者など、他にも様々な要素があり、それら全てが高品質なお茶作りに関わっていることを忘れてはなりません。とはいえ、たとえ山茶でなくても、土壌、天候、そしてもちろん、優れた管理技術など、その地域特有の個性や特色を形作る要素は他にもあります。それが、お茶の多様性の素晴らしさなのかもしれませんね。 次回日本茶を飲む際には、そのお茶が栽培されている地域を思い浮かべていただければ幸いです。そして、様々な地域のお茶を飲み比べて楽しんでいただければ幸いです。 関連記事: 湯呑み道場 - クイックレッスン: 生産者はより高品質な緑茶を作るために何をするのでしょうか? 気候変動と茶の化学 日本の主な茶産地50選 - 進化するプロジェクト 注目の画像:京都府和束町にあるあづま茶園の茶畑。撮影: あづま茶園

  • Chabana - The Flowers of Tea Plants - yunomi-jp.pro

    茶花 - 茶の木の花

    今日は、お茶の花についてお話します!お茶会で使われるような季節の花ではなく、茶の木( C. amellia sinensis)に実際に咲く茶の花についてです。 春は新茶の季節ですが、茶の花が咲くのは実際には遅く、10月から11月下旬、つまり茶が種子を作り冬眠に入る直前です。実際、この時期は「茶花」と呼ばれることもあります。この季語は冬前のこの季節のエッセンスを捉えており、正岡子規をはじめとする多くの俳句に用いられてきました。そしてもちろん、茶道(生け花)の季節の花としても私たちにはふさわしいものです。 京都府和束町の茶畑と咲き誇る茶の花。写真はあづま茶園。この慎ましい花々は、どこか懐かしい気持ちにさせてくれます。言葉にできないけれど、茶の花はあなたにどんな想いや感情を伝えてくれるのでしょうか? 茶の花について知ろう セニシダはツバキ科の植物で、花は白いツバキに似ています。一方、セニシダの花は小さく、葉の後ろに隠れるように控えめに咲きます。つぼみはふっくらと可愛らしく、小さな丸いボールのような形をしています。花は白い花びらが薄く透けるほどで、中央に黄色い雌しべと雄しべ(シベ)が冠のように広がります。花径は最大4cm、萼片は5枚、花びらは5~9枚です。花は両性花(雄しべと雌しべの両方を持つ)で、ミツバチによって受粉します。 咲き誇る茶の花のクローズアップ。アリを見つけられますか? 撮影:ジミー・バーリッジ 2年前の秋、京都府和束町で茶の開花期を過ごすという幸運に恵まれました。茶の花はとても繊細で、控えめながらも優雅な存在感(私にとって、これこそが日本の美!)に心を奪われました。特に朝露に濡れた姿は圧巻でした。 香りは?この花は、どちらかというと優しく繊細な香りだと思います。石鹸のような香りだと表現する人もいます(でも、石鹸にも色々な種類があるので、必ずしもそうではないかもしれませんね!)。最近書いた擬音語を使った日本茶の記事でも触れましたが、茶の花にはサポニン(正確にはフロラテアサポニン)という成分が含まれており、発泡作用があります。ふーん、もしかしたら石鹸のような香りと関係があるのか​​もしれませんね。 京都府和束町の朝露に濡れた茶の花。 この美しい茶の花について注意すべき点が一つあります。それは、茶農家にとってこの花は必ずしも最良の友ではないかもしれないということです。秋から冬にかけては、茶の木が翌年の豊かな葉のために栄養分を蓄える重要な時期です。とはいえ、花、そして種子が栄養分の大部分を受け取ってしまっては、良いお茶を作るための茶葉にとって良くありません。実際、茶農家が花芽が開く前に摘み取るのはそのためです。そのため、開花期に茶の花に出会うのはよくあることだと思うかもしれませんが、実際には数個しか咲いていないかもしれません。こうすることで、春の新芽に必要な栄養分をより多く残すことができるのです。 お茶農家の中には、ポケットティーフラワーでお茶の仕事を明るくしてくれる人もいます!写真はあずま茶園より。 茶の種について 茶の花はミツバチによって受粉され、受粉すると小さな果実に囲まれた種子も生じます。茶の種子は寿命が短いため、時間が経つにつれて発芽しにくくなります。茶園では、種子を採取して植え付けずに、そのまま放置することもあります。茶の花は自家受粉する性質はなく、ミツバチや様々な昆虫が花に訪れることで、他の植物の花と自然に交配します。 自然交配した種子から生まれた新しい茶樹が、親木の特徴をそのまま受け継ぐことは極めて稀です。人間などの動物が示す遺伝子組み換えと同じ仕組みのため、種子から育った植物は親木の特徴を組み合わせたもの(いわゆる「在来」 )を示します。このような種子から育った植物は、生育、風味、品質において個体差が大きく、このような植物は「在来茶樹」と呼ばれます。 かつては、栄西禅師のように種子を運び、植えて育てていました。しかし現在では、栄養繁殖がはるかに一般的になっています。栄養繁殖とは、親植物から小さな枝を切り取り、小さな鉢で発根させ、根が少し伸びた枝を畑に植え直すことです。このようにして、挿し木から育った新しい植物は親植物と全く同じであり、特定の品種の品質と特性が一定に保たれます。 和束茶農家の中井さんは、親株から小さな枝を挿し木する作業をされています。実は、この特別な日に、私もその挿し木をプレゼントしてもらいました! お茶を飲む 花茶 栄養豊富な茶葉と茶花の間には、繊細な調和、あるいは拮抗関係さえあるように思えますが、茶花は食用にもなり、滑らかで甘く、美味しくリラックスできるお茶にすることができます。茶花には茶葉に比べてカフェイン含有量が少ないのが特徴です。さらに、プーアール茶と同様に、茶花は熟成することでより豊かで芳醇な味わいへと変化します。日本では、茶花は主に振茶(ホイップティー)や茶葉とのブレンドに利用されています( 振茶について詳しくはこちらをご覧ください)。ご興味があれば、ぜひ茶花入りのお茶をお試しください!ホリデーシーズンのギフトにもぴったりです! 振り茶(ふりちゃ): バタバチャ ボテボテチャ 茶花ブレンド: 横田茶園:煎茶フラワーブレンド...

  • In Celebration: Japanese Tea Day - yunomi-jp.pro

    祝:日本茶の日

    おはよう!元気ですか?もう10月も終わりだなんて信じられますか?気温が下がり、木々が色づき、落ち葉が舞い踊るこの季節、ゆったりとくつろぎ、温かいお茶を飲みながら、深呼吸をするのが本当に素敵な季節ですね… 10月31日といえば、お菓子やいたずら、仮装を楽しむアメリカの祝日、ハロウィンを思い浮かべる方も多いかもしれませんが、実は秋分と冬至のちょうど中間点にあたる日です。この天文上の祝日は、世界中で様々な形で祝われています。日本では、10月31日は「日本茶の日」として祝われます。 伝説によると、この日、高僧栄西が中国から初めて茶の種を日本に持ち帰ったと言われています。当時の茶は非常に苦く、薬用や眠気覚まし(例えば、瞑想修行中)に用いられていました。栽培方法と使用法を記した日本最古の茶に関する書物『喫茶養生記』(日本語: 『喫茶養生記』)も栄西によって著され、茶の歴史に関する重要な文献となっています。当時の僧侶や貴族は、粉末にした茶葉と熱湯を混ぜて茶を淹れていました。これは、同時代の中国宋王朝に似ています。このような淹れ方と、その洗練され、集中的な文化こそが、日本茶、特に日本の碾茶のルーツであると考えられます。数世紀を経て、茶はより広く普及し、武士の間で、そして後に庶民の間でも茶の文化と淹れ方が発展しました。 日本茶の記念日 さらに調べてみると、様々な機関が様々な種類の日本茶を広めるために「お茶の日」を企画しているようです。いくつか例を挙げてみましょう。 2月6日は「抹茶の日」です。愛知県西尾市は高品質な抹茶の産地として知られています。西尾茶業協同組合は、西尾茶の120周年を記念して1992年にこの日を制定しました。この日が選ばれたのは、「2」と「6」を合わせると「風呂」と発音し、お風呂の雰囲気を連想させるからです。しかし、日本の茶道では、この「風呂」は茶室で湯を沸かすための炉床を指します。 写真はAOI-Seichaさんより。 緑茶の日は5月1日または2日で、春の茶の季節の始まりを告げる伝統的な日で、新茶の初摘みが行われます。立春から88日目にあたります。この日が正式に認められたのは1990年ですが、伝統的な茶摘み歌から、八十八夜の到来を祝う習慣はもっと古い歴史を持つことがわかります。 6月1日の「麦茶の日」は、ちょうど大麦の収穫シーズンの始まりと重なります。新鮮な大麦と新茶で淹れた麦茶に勝るものはないので、まさにうってつけです。「麦茶の日」は1986年に初めて公式に制定されました。 玄米茶の日は11 月 1 日です。これもまた、その日が米穀年度 (日本語:米穀年度; 米穀年(べいこくねん)は、日本で米が取引される年です。 実は、10月1日にはもう一つ「日本茶の日」があることをご存知の方もいるかもしれません。これは、藩主が 豊臣秀吉は1587年、京都の北野天満宮で「大北野茶会」と呼ばれる有名な茶会を催しました。この茶会が重要な意味を持ったのは、誰もが参加できる場であったことです。つまり、大名や貴族、茶人だけに限定されず、茶道に情熱を抱く者であれば、庶民や外国人も参加することができたのです。この茶会を機に、身分を問わず誰もが高尚な茶文化に触れることができるようになったことから、この日は「茶の日」としても知られています。 なぜ日本茶の日(両方とも!)が秋なのか不思議に思うかもしれません。「新茶」といえば、収穫時期は4月から5月なので、春にこのような祝日を祝う方が理にかなっているように思えるからです。しかし、昔は秋こそが新茶を楽しむ時期でした。これは、当時のお茶は初夏に収穫されていたためです。その後、壺(お茶を保存するための比較的大きな壺)に入れて、秋まで低温で保存されていました。今日でも、秋新茶または熟成新茶(日本語:熟成新茶)と呼ばれるこの種のお茶を見かけることがあります。 摘みたての新茶は、みずみずしく若草のような香りがしますが、熟成させることで青臭さが抜け、芳醇でまろやかな味わいに変化します。徳川家康は特にこのお茶を好んだと言われています。もし、このような「ヴィンテージ」の新茶を見かけたら、あの有名な武将たちが愛した秋の新茶だったことを思い出してください。 そうですね、お祝いしたり、日本茶を味わう記念日はたくさんあると思います。これから寒く暗い冬へと移り変わっていきますが、この特別な日に、心温まる一杯の日本茶をゆっくりとお楽しみいただければ幸いです。 ハロウィンと日本茶を両方お祝いしてみませんか? フランスのハロウィンスイーツ(パンナコッタの目玉とカボチャと栗のふわふわスイーツ)と、上島さんの3年番茶を組み合わせました。見た目は不気味なクマ! 愛知県西尾市の葵製茶による画像です。 この記事は2023年10月31日に更新されました。

  • Tea Farming during the Pandemic - yunomi-jp.pro

    パンデミック中の茶栽培

    世界的なパンデミックは、自転車やコンピューターチップなど、私たちの日常生活やサプライチェーンに多大な影響を及ぼし続けています。しかし、国内外で日本茶の生産と消費にどのような影響を与えているか、改めて考えたことはありますか?私のようにお茶をよく飲む方にとっては、家にいる時間が増えたことで、日本茶を楽​​しむ機会が増えたのではないでしょうか。今日は、新型コロナウイルス感染症が日本の茶業界に及ぼした影響と、それが今もなおどのように影響を及ぼしているかについて少し触れたいと思います。国内外の主な動向を取り上げ、2021年の秋を迎えた日本の茶農家の取り組みについて、いくつかご紹介します。秋といえば、温かいお茶をゆっくりと楽しめる季節になってきましたね! 富澤茶園のティーショップ「グリーンティーラボ」より、2021年10月10日撮影。 茶の間でひと休み 京都府和束町の茶農家、上島さんへのインタビューを読んだ方は、日本の「茶の間」という概念をすでにご存知かもしれません。上島さんはこう語ってくれました。「茶の間とは、お茶を淹れ、淹れて、出し、飲むまでの過程のことです。日本語には『間』という言葉があります。お茶を淹れる『間』と、コミュニケーションの『間』…つまり、茶の間とは、客を家に招き、目の前でお茶を点てることなのです。」 端的に言えば、それはくつろいだ交流の場を生み出す、一種のおもてなしと言えるかもしれません。とはいえ、日本においてお茶はコミュニケーションツールとして重要な役割を果たしています。パンデミック下では、ソーシャルディスタンスやステイホームの取り組みにより、一部の家庭ではお茶がより多く飲まれていたかもしれませんが、社交の場や集まりが激減したことで、他の空間でのお茶の消費量は減少しました。さらに、企業や事業者が来客に出すお茶の量や贈答用のお茶の量が激減し、お茶業界に大きな影響を及ぼしています。 意外に思われるかもしれませんが、日本においてお茶業界に大きな影響を与えた主要なサービスの一つが葬儀です。パンデミック以前は、主要な茶産地の高品質なお茶が、葬儀のお礼としてよく購入されていました。日本では、葬儀の供え物に対する感謝の気持ちとして、遺族から参列者に贈り物が贈られます。お茶はこうした一般的な贈り物の一つです。しかし、パンデミックによって葬儀の規模が縮小され、これらの贈り物としてのお茶の売上が減少しました。 それでも、お茶関連のすべてが衰退しているわけではないようです。調査によると、特に若い世代(18~29歳)では、パンデミックの影響で茶葉の消費量が26%増加したことが明らかになっています。これは、最近の日本ではペットボトル入りのお茶に頼りがち(つまり、急須で淹れたお茶を楽しむ代わりに)なことを考えると、少し安心できる点です。つまり、茶の間は家庭以外では減少しているかもしれませんが、特に若い世代の間では、家庭でより多く楽しまれてきたのかもしれません。 日本の茶生産の衰退 パンデミックが茶産業、ひいては茶栽培全般に及ぼした影響は、農林水産省(MAFF)の統計データにも反映されています。2019年と比較すると、2020年の荒茶(荒茶)の生産量は全国で15%減少しました。全体的に、収穫時期を問わず減少傾向が見られました(下図参照)。さらに、MAFFが今年実施した最新の調査では、2021年も生産量は回復していないことが示されました。 もちろん、パンデミックに関連したいくつかの要因は、日本の茶業界全体の傾向の中で生じていることも認識する必要があります。例えば、いくつかの茶農家へのインタビューでも触れてきたように、茶農家の高齢化は明らかに大きな懸念事項です。2000年には、65歳以上の茶農家の割合はすでに49%でしたが、20年後(2020年)には、この割合は62%にまで増加しています。茶農家の高齢化と並行して、茶畑の耕作地は減少し続け、茶園の放棄も続いています。 不透明な茶産業の先行きを受け、自治体や団体は日本茶への需要と関心を高めるため、様々な支援策を打ち出している。例えば、国内外の観光客が訪れる京都府を代表する茶産地、和束町では、2021年2月、地元の一般社団法人「えん―TRANCEわづか」が、パンデミックの影響で売上が落ち込み、和束町の茶農家が保管していた煎茶ティーバッグ1,750個を購入し、地域住民に無償配布した。同団体は農林水産省の補助金を活用し、荒茶5,800kgを購入。購入後、全国に配布し、自国の和束茶のプロモーションに役立てている。国内外の観光客の激減(土産物やお茶関連ツアーの売上減少にもつながっている)に見舞われた主要茶産地でも、同様の取り組みが広がっている。例えば、おそらく最も有名な茶産地である静岡では、県が生産者に対し、新商品開発に500万円、販路開拓に300万円の補助金制度を設けました。その結果、茶葉を使ったスパークリング飲料から茶のアロマ製品まで、26の商品がこの制度の対象に選ばれました(9月6日現在)。 希望に満ちた国際的な動向 日本茶の輸出は2016年以降、緩やかながらも着実に増加しており、パンデミックの影響もあって輸出量はさらに増加し​​ています(概ね10年間で倍増しています)。この傾向は、健康に良いとされる日本食の人気が高まっていることが主な要因です(注:日本茶輸出上位5カ国のうち、37%が米国に輸出されています)。 しかし、この上昇傾向を継続させるため、コロナ禍後も日本茶の普及促進を継続できるよう、現在多くの取り組みが進められています。例えば、オンラインプラットフォームを通じて多言語で日本茶に関する啓発イベントを開催したり、シングルオリジンやオーガニックティーなど、海外市場により適した、需要の高い商品を開発したりするなど、様々な取り組みが進められています。 茶農家に刺激を与える 以上が、パンデミックが日本の茶業に与えた影響の全体像です。過去2年間の出来事は、毎日が明るく晴れやかなわけではないことを改めて思い起こさせてくれますが、Yunomiの茶農家の方々に目を向けると、四季折々に変化する茶樹と、皆が美しく調和しているように見えます。ここでは、Yunomiの茶農家の方々の最近の様子をご紹介します。 大武部茶園(京都府和束町) 京都府の茶畑、和束町では、日本政府の緊急事態宣言を受けてほとんどのレストランが閉まっているようですが、おぶぶ茶園では先日、秋の彼岸にちなんでささやかな茶摘みイベントを開催しました(イベントレポートはおぶぶ茶園のブログでご覧いただけます!)。参加者は茶摘みの実習だけでなく、美味しい秋のお弁当を味わい、手摘みした茶葉で天ぷらを作り、摘んだ茶葉でお茶を点てる体験もしました。とても素敵な体験でした! 右から左へ。(1)摘みたての茶葉を使った天ぷら。(2)茶葉を手揉みする工程。写真提供: 京都おぶぶ茶園(2021年10月7日掲載)。 9月30日に緊急事態宣言が解除され、和束茶カフェを含む飲食店が再開し始めています。和束町に徐々に活気が戻ってくることを願っていますが、おぶぶのあっきーさんがいつも茶畑で元気に過ごしている姿を見るのは、本当に心強いです。 おぶぶブログでは、茶農家のあっきーさんが一生懸命ながらも楽しそうに働く姿が見られ、励まされること間違いなしです。写真はおぶぶ茶園より(2021年3月)。 備前屋(埼玉県日高市) お茶のいちょうか工程(萎凋工程)を専門とする備前屋の清水さんは、最近は品評会での審査に精を出しているそう!最近参加したのは第66回狭山茶コンクール。清水さんによると、第2部の手揉み部門には12点の作品が出品されたとのこと。すべて同じ茶葉(厳密に同じ方法で収穫されたもの)から手揉みされたものらしく、まるで茶揉みの技術を競う競技のようだったそうです。そして、埼玉県知事賞を授与されるのはたった1点だけだったそうです…。 清水さんは全体的な印象をどう受け止めたのでしょうか?同じ生葉を手揉みした場合でも、見た目だけでなく品質にも顕著な違いがあったと指摘しました。展示された茶葉はすべてハサミで摘まれたもの(つまり手摘みではない)でしたが、一般的な煎茶に比べて、葉が厚く、大きく、より上品な外観をしていることにも気づきました。これは、機械で摘まれた茶葉では実現できない、印象的な形状です。 第66回狭山茶コンテストの様子。撮影:備前屋(2021年9月26日)。 梶原茶園(熊本県芦北市) 釜炒り茶が絶品の梶原さん。最近、イノシシの被害で茶畑が荒廃したという報告がありましたが、茶園の人々は懸命に作業を続けています。ちょうど秋の収穫を迎えたばかりのべにふうきです。梶原さんはお茶に加え、熊本県芦北町にある拠点で稲作も行っており、今は稲刈りで大忙しです。 上から下へ:1) 秋のべにふうき収穫、2)...

  • The Tea that is served with your Sushi - yunomi-jp.pro

    お寿司と一緒にいただくお茶

    東京の伝統的な寿司店で握りを堪能した後、箸を置くと、寿司職人が丁重にこう告げる。 「あがりお願いします! 」 しばらくすると、通常の日本の湯呑よりも厚く大きな湯呑みに注がれた熱い日本茶が運ばれてきます。熱いお茶のほのかな渋みが魚の脂を優しく包み込み、口の中を爽快にし、心は落ち着き、明晰になり、極上の満足感をもたらします。温かいお茶の温かさに包まれ、完璧な寿司体験の喜びに浸りながら、寿司職人たちがどのようにして、魚、松茸(旬であれば)、ご飯、そしてお茶という様々な料理を、これほどまでに巧みに選び、組み合わせているのか、不思議に思うことでしょう。 今日は、寿司の芸術におけるお茶の要素について調べてみましょう。 東京都杉並区の地元の寿司レストランで、寿司職人が一生懸命働いている。 寿司に最適な緑茶 最近では、海外の寿司レストランでも緑茶を提供しているところを見かけるかもしれません。しかし日本では、寿司店で客に出される緑茶は、寿司職人によって「上がり」と呼ばれ、料理の合間や食後に無料で提供されます。興味深いことに、寿司自体が非常に高品質であっても、緑茶はそれほど高級なものとは見なされていません。高級な玉露や煎茶を期待するかもしれませんが、それらは旨味が強すぎて、寿司の魅力を損ねてしまうでしょう。緑茶は美食体験において特別な役割を担っており、高品質の刺身や握りを損なうのではなく、それらを引き立てる役割を果たしています。 意外かもしれませんが、寿司に最も合う緑茶は「粉茶」です。粉茶は、煎茶や玉露などの高級茶を製造する際に副産物として生じる葉の破片や葉の粉末から作られています。製造・等級分けの過程で、細かくて不均一な葉を集め、それを粗く挽いて粉茶を作ります。粉茶はふるいにかけた残り物のようなので、きちんと形作られた葉で作ったお茶よりも手頃な価格です。この点で粉茶は、同様に高品質のお茶を手頃な価格で楽しむことができる茎茶に似ています。色は鮮やかな濃い緑色ですが、味と香りはそれほど強くありません。そのためか、お寿司屋さんでは、急須を使わずに手軽に点てられる粉茶が絶妙なバランスで、ほどよい苦みが寿司によく合います。実際、粉茶は生魚の脂をすっきりと流し込んでくれます。お寿司の締めに出される緑茶のイメージが強いですが、料理の合間や食事中に出される緑茶は、口の中をリセットし、リフレッシュさせる効果があると言われています。 寿司店によっては、緑茶に特別なこだわりを持って、様々な粉茶をブレンドして独自の粉茶ブレンドを作っているところもあります。最後にもう一つ注意しておきたいのは、粉茶は普段使っているものよりも大きくて厚みのあるカップで提供されることです。これは、お茶の温かさを長時間保ち、お客様にゆっくりとお茶の味わいを味わっていただくためです。 上: 武雄茶園の春の粉茶 一番(有機JAS認証)。撮影:Yunomi 「アガリ」はどこから来たのでしょうか? 私と同じように、「上がり」という言葉の起源について疑問に思ったことがある人もいるかもしれません。この言葉には実は興味深い(そしてかなり奇妙な)歴史があり、江戸時代( 1603~1867年)にまで遡ると知って驚きました。実は、この言葉が最初に使われたのは花街(文字通り花街を意味しますが、当時は遊郭を指していました)で、寿司とは全く関係がありませんでした!花街では、芸妓さんに客がいないときは「お茶を挽く」と言われていました。これは文字通り「お茶を挽く」という意味で、実際に彼女たちはそうしていました。しかし、これは時間を無駄にすることの比喩でもありました。こうして、花街では、お茶を「お茶」と呼ぶことは商売繁盛に関連しないため避けられるようになったのです。芸妓さんが客を迎えた時に出すお茶を「上がり」と呼ぶようになったのは、芸妓さんが客を迎えた時に出すお茶を「上がり」と呼ぶようになったからで、芸妓さんが客を迎えた後に出すお茶を「上がり花」と呼んで風情を出したのが始まりとされています。つまり、縁起の良い「上がり」が「お茶」に取って代わったということです。江戸時代には寿司屋も繁盛していましたが、やはり客足が安定していたため、この呼び方が定着したと考えられます。 Unsplashの太田和夫による写真。   一杯のお茶を味わう 何か新しい発見はありましたか?日本の寿司屋では、緑茶は寿司ととても自然に組み合わされているので、どんな種類のお茶が使われているのか調べてみたことがありませんでした。個人的には、美味しい寿司を引き立てるように粉茶が添えられているのが気に入りました。次回母国の寿司屋に行く時は、お店独自の粉茶ブレンドがあるのか​​なと思いながら、日本の緑茶をもっと深く味わうことになるでしょう。あ、そうそう、お気づきかもしれませんが、お茶を「あがり」とは言いませんでした。これは寿司職人だけがお客様に使う特別な言葉ですから! 寿司屋で緑茶を出すときに使われる湯呑みとは少し違うかもしれませんが、我が家で一番近いのは有田焼の湯呑みでした。あがりは、この湯呑みと同じくらいの高さの湯呑みで提供されることが多いですが、お茶が非常に熱いので、湯呑みはより厚くなります。寿司屋によっては、湯呑みに魚の漢字が書かれていることもあります。 注目の画像写真は、 UnsplashのGeorge Kedenburg III氏によるものです。

  • A Comforting Japanese Dish with Tea: Ochazuke - yunomi-jp.pro

    お茶と一緒にいただく心温まる日本料理:お茶漬け

    お茶漬けという日本料理を食べたことがありますか?お茶漬けは、海外の日本食レストランではあまり見かけません。むしろ、家庭で楽しまれる、家族で愛される伝統的な料理です。人気日本のアンソロジードラマ『深夜食堂』でお茶漬けを見たことがあるかもしれません。このドラマでは、シンプルな日本の家庭料理が数多く登場し、3人の女友達(彼女たちがお茶漬け姉妹と呼ばれているのはそのためです)の定番のおやつとしてお茶漬けが登場します。 お茶漬けは、その名の通り、ご飯にお茶を注いだ料理です。一般的には、煎茶、番茶、ほうじ茶など、日本茶が使われます。近年では、好みに合わせて、あるいは家庭にあるものでお茶漬けを楽しむ人も増えています。お湯、冷たい麦茶、スープ、だしなど、これらはすべてお茶漬けと呼ばれています。今日は、お茶漬けとその歴史についてもう少し詳しくご紹介し、皆さんが自宅でお茶漬けを作ってみようというきっかけになれば幸いです。 お茶漬けの歴史 ご飯にお茶をかけて楽しむこの習慣は、江戸時代(1603~1868年)に始まったと言われています。しかし、お茶漬け(つまり、ご飯にお茶を注ぐこと)の起源は、日本で初めて稲作が始まった縄文時代(紀元前14,000~300年)にまで遡るようです。この時代は、狩猟採集と低強度の植物管理が組み合わさった時代でした。その後、本格的な農耕に移行し、水稲作も行われるようになりました。この時代、人々はご飯に熱湯や水をかけて食べていたと考えられています。証拠から、日本で少なくとも3,000年前から稲作が行われていたことが示唆されています。 『源氏物語』などの有名な日本の文学作品にも、湯漬けや水飯に関する記述があります。 『枕草子』( まくらそうし)によると、平安時代(794~1185年)にはお茶漬けが食べられていたようです。 「湯漬け」はご飯に熱湯をかけ、 「水飯」はご飯に水をかけることを指します。当時はご飯の熱を魔法のように保つ炊飯器などありませんでしたので、ご飯は冷めてパサパサになってしまうのは当然のことでした。そのため、人々はご飯の温かさと水分を保つために、自然に熱湯や水をかけてご飯を炊くようになったのです。 では、日本人がご飯にお茶をかけるようになったのはいつからでしょうか?日本茶の歴史に詳しい方なら、「江戸時代」と答えたのではないでしょうか。まさにその通り! 正確には、番茶や煎茶がより身近になり、庶民にも好まれるようになった江戸時代中期です。煎茶にはより多くのうま味が含まれていると言われていましたが、この時代は番茶をご飯にかけて食べるのが一般的でした。お茶漬けは、準備に時間も手間もかからず手軽に作れるため、貴族の家では使用人にとって非常に典型的な食事となりました。使用人たちが質素な食生活の中で自由に食べられるおかずは、基本的に漬物だけでした。そのため、彼らはお茶漬けの上に漬物を山のように(!)積み上げ、これが現代のお茶漬けの食べ方に大きな影響を与えたと言われています。 そして、時代が進むにつれて、お茶漬けには梅干しや海苔、鮭、たらこなど様々なトッピングが加えられるようになり、お茶漬けはますます多くの人に親しまれるようになりました。江戸時代、一般的に米を炊くのは1日1回。朝は温かいご飯を、夜は残ったご飯を温かいお茶漬けにして食べていました。江戸時代の最盛期(元禄時代)には、茶漬け屋と呼ばれる飲食店が開業し、庶民のファストフードとしてお茶漬けが楽しまれるようになりました。この時代に、手軽で便利な食事や冷めてしまったご飯の消化手段としてお茶漬けが人気を博したのです。また、お茶漬けは農家の米を一粒残らず食べることができるため、稲作農家の苦労に感謝し、感謝の気持ちを表すものだったことも特筆すべき点でしょう。 インスタントお茶漬け 1952年、食品会社である永谷園が世界初のインスタントお茶漬けの販売を開始しました。日本に住んだことがある方、あるいは日本を訪れたことがある方なら、スーパーマーケットやコンビニエンスストアで手軽にお茶漬けが手に入るのを目にしたことがあるかもしれません。あるいは、この有名なインスタントお茶漬けを口にしたことがあるかもしれません。 実はこれ、家に一つあったんです!パンデミック中に再会した大学時代の親友がアメリカから送ってくれたんです(見ての通り、パッケージには英語が書いてあります)。これは梅干し味です。 基本的に、ご飯(日本の家庭ではご飯が余るのはよくあることです)とお湯があれば大丈夫です。インスタントお茶漬けの袋の中身をご飯の上に注ぎ、お湯を注ぐだけで、出来上がり!お茶漬けの出来上がりです。 見た目は緑茶のようですが、出汁が入っているので実は塩辛いんです。はい!上質な日本茶で作ると全く違う味になりますが…インスタントバージョンなら、お茶漬け自体に風味があるので、付け合わせを用意する必要はありません。材料は一般的に乾燥海苔、あられ(この場合はとても小さな米のパフ/クラッカーです)、塩、緑茶パウダーで、フレーバーによってはフリーズドライサーモン、梅干し、わさびなどが加えられることもあります。最近では永谷園以外にも各社が独自のお茶漬けを販売しており、日本各地で様々な種類のお茶漬けが見つかるでしょう。Yunomiではわさびのお茶漬けも販売しています!   今日のお茶漬け 今日でも、お茶漬けは心安らぐ簡単に作れる食事であり続けています。インスタントの袋入りのもの以外にも、お茶漬けの楽しみ方は様々です。液体のベースとしてお湯を好む人もいれば、お茶、抹茶を試す人もいます。お茶漬けを出す店では、その店独自の自家製つゆで出すこともあります。地域によっても違いがあります。静岡県はうな茶と呼ばれる焼きうなぎをトッピングしたお茶漬けで有名で、京都ではぶぶ漬けとして知られています。京都では、主人がぶぶ漬けを食べませんかと尋ねたら、そろそろ帰る時間だと微妙に告げている可能性があると昔から言われています。しかし、それが今日でも本当なのか、あるいは過去においても本当だったのかどうかは実はかなり曖昧です。京都地方はまた、ぶぶ漬けの素晴らしいトッピングとなる野生の野菜の漬物でも有名です。実は、漬物の種類や作り方は各家庭によって異なり、江戸時代の先祖伝来の漬物作りを今も受け継いでいる家庭もあります。京都を訪れる機会があれば、有名な漬物店で旬の野菜を10種類以上も詰め合わせたぶぶ漬けを楽しむのも良いでしょう。 それがお茶漬けです!地域によって違いがあり、微妙な意味を持つ、とても古い家庭料理です。お気に入りのお茶漬けがあれば、ぜひ教えてください。最後に、私の個人的なお茶漬けのおすすめを一つお伝えしたいと思います。東京の両親の近所にある居心地の良い焼き鳥屋には、焼きおにぎり茶漬けがあり、これは焼いたおにぎりが入ったお茶漬けで、とても美味しいです!私たちは実際にフランスでそれをグリルで作ってみました。基本的には、ご飯にお茶を注ぐ代わりに、まず焼きおにぎりを作りますが、これも古代の方法です。考古学者は、2000年前のおにぎりの焦げた残骸を発見しました!おにぎりを作ったことがない方は、柔らかくて粘り気のある食感の日本米(寿司を作るのと同じ短粒種の米)を使用するのが最適です。 醤油ベースのタレで焼くだけのおにぎり。ご飯にふりかけ(シソ、昆布、ゴマなど)をかけて、彩りと風味をプラスしました。 おにぎりの中には、焼き鮭、梅干し、味付け海苔など、普段おにぎりに入れる具材を何でも入れることができます。もちろん、おにぎりを焼く必要はありません。でも、個人的には焼くことをお勧めします。焼くことでおにぎりの外側がカリッとした食感になり、おにぎりの中身やお茶漬け、スープの素ととてもよく合うからです。おにぎりを焼く際に、醤油、料理酒、みりん(米酒の一種)、砂糖シロップなどを混ぜたものを外側に塗って風味をプラスするのも良いでしょう。 グリルでおにぎり! おにぎりが完成したら、おにぎりを一つ(お腹が空いていれば二つでも!)椀に入れ、お好みで海苔やシソなどを添えます。最後に、お好みの日本茶を注いで温かいうちに召し上がってください。もちろん、夏なので冷たいお茶がお好みなら、それもアリです。私たちは夕方に作ったので、その日の釜炒り茶(宮崎茶房園)の4煎目を注ぎました。完璧な日本の材料が揃っていなかったかもしれませんが、この焼きおにぎり茶漬けの出来栄えには満足しています…どうぞ召し上がってください! 注目の画像:家にあるものでお茶漬けを作る。残った玄米の上に、イワシ(生姜で焼いて即席のかば焼き風にしたもの)と紫蘇の乾燥フレークをトッピング。選んだお茶は? 武雄茶園の番茶。写真:ジミー・バーリッジ

  • Mugicha, the Flavor of Summer in Japan - yunomi-jp.pro

    日本の夏の味、麦茶

    こんにちは、夏ですね!日が長くなり、光も増すこの季節、花々やその花粉媒介昆虫たちを楽しんでいらっしゃるでしょうか。 前回の投稿では、冬のお茶として親しまれがちな三年番茶について触れました。個人的には、他の季節でも美味しく飲めると思っています。しかし今日は、これから暑い夏を迎えるにあたり、日本の家庭では欠かせない夏の定番ドリンクである麦茶について触れたいと思います。子供の頃、家の冷蔵庫には必ず麦茶が常備されていたのを覚えています。そこで今回は、麦茶とは何か、その歴史、そして時代とともに麦茶の消費がどのように変化してきたのかをお伝えしたいと思います。 麦茶 麦茶は日本語で麦茶を意味します。大麦は小麦科に属しますが、パン、パスタ、うどん、パンケーキを作る際に使われる大麦とは異なります。大麦は穀物の一種で、ビール、味噌、醤油などの原料として使われます。穀物として食べることはあまり馴染みがありませんが、文明の歴史において、大麦は低温や干ばつに強いことから、主食として重宝されてきました。米が主食とされる日本でも、戦前は米よりも大麦を多く食べていました。 大麦とライ麦は見た目が似ていますが、どちらも種子から芒と呼ばれる小さなとげのある毛が伸びていますが、小麦にはそれがありません。左の写真は日本の大麦畑です(撮影: 鍋島明茶)。 右の写真は、私たちが最近フランスで訪れた、パン用に収穫されるライ麦と小麦の混植畑です(撮影:ジミー・バーリッジ)。 麦茶は、大麦を焙煎し、その後煮出して作られます。釜で直接火を入れる(釜炒り法など)のに対し、伝統的な製法は砂炒りという、時間と手間のかかる工程を採用していました。砂を熱することで、大麦を釜でじっくりと焙煎し、豊かな香りを引き出すと同時に、焦げ付きを防ぐことができました。砂炒りでは火が強すぎないため、お茶本来の旨味と甘みが保たれます。現在では、この製法で作られた麦茶を見つけるのはかなり稀ですが、 可能です! ショップ鍋島 飛騨むぎ茶 麦茶(バルク) 飛騨むぎ茶 ロースト大麦。 photo by 鍋島メイチャ 麦茶の簡単な歴史 日本では、平安時代(794-1185)から麦を焙煎して飲む習慣がありました。その意味では、麦茶は緑茶よりも早く日本に広まり、当時の貴族や武将たちは麦茶を「麦焦がし(むぎこがし)」と呼ばれる飲み物として楽しんでいたと言われています。彼らは焙煎した大麦の粉と砂糖を熱湯または酒に溶かして飲んでいました。そう、麦茶は最初は熱湯で、しかも驚いたことに砂糖まで加えられて飲まれていたのです! 麦茶が町民に親しまれるようになったのは、江戸時代( 1603~ 1868年)末期になってからでした。当時は「麦湯店」という店で飲まれていました。ちなみに、 「麦湯」という漢字は温かい飲み物であることを示しており、当時はまだ主に温かい飲み物が主流でした。明治時代(1868~1912年)には、麦茶は一般家庭や喫茶店でもさらに普及しました。そして1963年、麦茶革命が起こりました。その背景は? 東京オリンピックの前年、株式会社常陸屋本舗が最初の麦茶ティーバッグを発売したのです。お茶を手軽に淹れる方法と、冷蔵庫の普及が相まって、冷たい麦茶の人気が高まりました。 2年後の1965年、石垣食品は、沸騰させる必要もなく、お湯に直接浸すだけで​​作れる麦茶ティーバッグを発売しました。さらに、大麦は初夏に収穫されるので、麦茶が夏の定番となった理由も納得できます。 冷たい麦茶を一杯。 photo by 鍋島メイチャ パンデミック中の麦茶...

  • Chanoyu, nation building and femininity - yunomi-jp.pro

    茶の湯、国家建設、そして女性らしさ

    この記事では、茶道愛好家ジム・バリッジが、茶道を実践した人々、茶道が何を意味し、何世紀にもわたってどのような社会的・文化的役割を果たしてきたかを考察した2冊の書籍について解説します。2冊は、クリスティン・スラック著『Making Tea, Making Japan: Cultural Nationalism in Practice』、レベッカ・コーベット著『Cultivating Femininity: Women and Tea Culture in Edo and Meiji Japan』です。  

  • What is shincha and why is it so special? - yunomi-jp.pro

    新茶とは何ですか?なぜ特別なのですか?

    春の訪れとともに、茶農家の方々が春一番の収穫を終え、新茶の嬉しいニュースが次々と聞こえてきます。日本のゴールデンウィーク(4月29日から5月上旬にかけて、この時期には多くの祝日があります)はまさに黄金期です。Yunomiでも、 今年(2021年)の新茶の入荷と販売を心待ちにしており、さらに嬉しいことに、ご希望の新茶がございましたら、ご予約も承っております。 新茶は文字通り日本語で「新しい茶」(「新」は新しい、「茶」はお茶)を意味し、いくつかの定義があります。一般的には、新茶とは、収穫後、乾燥茶葉に加工されてから最初の2ヶ月ほどの茶葉(ツバキ科の植物)を指します。最も一般的には4月から5月にかけての春摘みの新茶ですが、稀に夏摘みや秋摘みの新茶が販売されている場合もあります。つまり、5月に「新茶」と呼ばれていた同じ春茶は、8月には「新茶」とは呼ばれなくなります。なぜなら、8月はもはや「新茶」ではなく、最も新鮮な状態ではないと考えられるからです。 しかし、多くの農家は、特に若くて柔らかい葉を収穫するために、早めに収穫します。これらの葉にはいくつかの呼び名があります(これらの特定の収穫から得られる製品の例を以下に示します)。 走り新茶: 「走り」とは「走る」という意味で、農家ができるだけ早く茶畑へ駆け出して葉を収穫しなければならないことを意味します。特に早い時期に収穫する茶葉には「大」の字が付きます。「大走り」は「おお走り」の意味で使われます。 初摘み新茶: 「初摘み」または農家が春の最初に摘むこと。 八十八夜新茶: 「八十八夜」とは、旧暦の春の88日目のこと。この日に摘まれたお茶は最良とされ、その年の幸運をもたらすとされています(この時期は5月上旬で、今年は5月1日でした)。また、旧暦が使われていた近世以前は、日没で昼が終わり、夜が次の日の始まりとされていたため、「夜」で日を数えていたことから「夜」と呼ばれるようになりました。 梶原茶園、2021年の新茶(在来品種)の収穫風景。熊本県芦北村柘植。 日本の伝統では、新茶(一般的には春に収穫されるもの)はビタミンやミネラルが豊富で、味も格別だと古くから強調されてきました。しかし、なぜでしょうか?茶の木は常緑樹で、冬でも葉を落としません。しかし、生育にはある程度の温度と日光が必要なため、冬は休眠状態になります。 しかし、2月後半から3月にかけて徐々に地温が上昇し、茶樹の根が目覚め始めます。静養していた茶樹は、根から水分と養​​分を吸収し、春の陽光を浴びて、新鮮な新芽と葉を育て始めます。この新芽と葉が、年間で最も多くの栄養素(テアニンなどのアミノ酸を含む)を含む新茶となります。 地域や栽培条件によって異なりますが、日本の緑茶は春から秋にかけて年間2~5回(平均4回)収穫できますが、春摘みの緑茶が最も高品質です。新茶は、春の柔らかな日差しによってテアニンがカテキンに変換され渋みがあまりないため、うま味と年に一度の甘みが強く、渋みは控えめです(詳細は気候変動と茶の化学に関する記事をご覧ください)。また、冷蔵保存期間が短いため、その鮮度の高さから、驚くほど生き生きとした青草のような香りで知られています。 施肥量、遮光量(テアニンが抗酸化物質に変換されるのを防ぐため、うま味が増し、苦味が減少する)、収穫前に葉をどのくらい大きく成長させるかなど、他の要因によって葉の味が変化する可能性があることに注意してください。   2021年の新茶収穫風景: 奥富茶園;4月17日青空の下、新茶の手摘み開始;埼玉県狭山市。 足柄茶ラボ; 2021年の新茶収穫作業中; 東京都小田原市。 松本兼六茶園、オオイワセの新茶の収穫、4月11日、静岡県島田市。 新茶がなぜ高く評価され、高く評価されているのか、少しお分かりいただけたでしょうか?旬のいちご、新米、そしてフランスのボジョレー・ヌーボーなど、他の季節の味覚にも通じるものがあります。このブログに掲載されている写真からも、茶農家の方々と新茶作りの風景から、豊かな生命力を感じることができるかもしれません。さらに、同じ地域の同じ茶農家が毎年作る新茶でも、味や香りが微妙に異なるため、飽きることがありません。ワインのヴィンテージが異なるように、新茶も収穫ごとに味わいに特別なニュアンスがあります。2021年の新茶を味わう際には、ぜひ茶農家の方々の努力に感謝し、そのお茶がどこから来ているのかに思いを馳せてみてください。 今年特に楽しみにしている新茶はありますか?(あるいはすでに楽しんでいらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません!)新茶について他にご質問があれば、ぜひお聞かせください。喜んでお答えいたします! 2021年の新茶に関するその他の興味深いニュース: 備前屋の清水さんは、来たるお茶の季節に向けて、籠やイグサの畳をきれいにしました。彼は畳職人に特注のイグサの畳を購入しました。このイグサは、茶葉の枯らし作業に欠かせないものとなります。4月20日、埼玉県日高市。 あゆみ農園(ちっとらっつ): 4月25日、あゆみさんは手摘み煎茶の加工を終えました。友人や地域の皆さんの協力を得て、今年で3年目となる手摘み茶作り。静岡県藤枝市で、山間の茶畑に48人が集まり、手摘み茶の伝統を守り続けています。先輩世代ほど熟練した技術はないかもしれませんが、手摘み茶は互いの存在を認め合い、一人ではできない収穫を成し遂げる、素晴らしい共同作業です。皆様、お疲れ様です! 丸茂清水茶園:三重県四日市市では、ゴールデンウィーク期間中、清水さん一家と一緒にお茶摘み体験と、採れたての茶葉を使った天ぷらを堪能できます!お家で新茶の天ぷらを作ってみたい方は、こちらのレシピもぜひお試しください! 写真:新茶収穫前の千代乃園茶園(福岡県八女市)より。

  • Color Your Life with Sakura Bark Ware (Kabazaiku) - yunomi-jp.pro

    桜皮細工で暮らしを彩る

    私の住んでいる地域では桜が満開です。桜前線は日本の北部に進み、秋田、青森でももうすぐ開花するでしょう。 前回の記事「桜を食べて味わう」では、お菓子作りで桜を楽しむ方法をご紹介しました。今回は、桜を使った素敵な工芸品をご紹介します。 こちらは私が自宅で使っている茶托(チャタク)です。 素敵だと思いませんか?何でできていると思いますか?野生の桜の樹皮でできています。 私も茶筒を持っています。20年以上使っています。 これらは樺細工と呼ばれます。 樺細工は、秋田県角館市で18世紀から受け継がれてきた伝統工芸品です。他に生産地はなく、ヤマザクラの樹皮を使った工芸品は、この地域ならではの特別なものです。 山桜「ヤマザクラ」 -wild parker- 樺細工の製作工程をご紹介します。 まず、9月から10月にかけて山桜の樹皮を採取します。次に、その樹皮を約2年間乾燥させます。そして、研磨・洗浄を行い、製品へと加工します。 樹皮を剥ぐのは木々や自然に悪影響を与えると思うかもしれませんが、心配する必要はありません。 「山師」と呼ばれる木材の専門家によって、伐採後も樹皮が再生できるよう、伝統的な手法が受け継がれています。山師によって樹皮を剥がされた木は、数年後には再び樹皮が再生し、再び樺細工の材料として利用できるようになります。 樺細工には、盆、皿、名刺入れ、万年筆など、様々な種類があります。茶器もいくつかあります。茶さじもあります。 小泉:桜皮茶杓 茶さじ(シンプルデザイン)5-233 丸栄竹尾 40832:茶さじ茶杓:桜柄 次は茶筒です。茶筒は樺細工の中でも特に有名な商品です。 桜皮は空気を通さない性質を持つため、湿度の変化を遮断し、茶葉を乾燥状態に保つ効果があるため、茶葉の保存容器として非常に適しています。 長く使い込むことで、茶筒に新たな魅力が加わるのも魅力です。手で持つことで、指先が木を磨いていきます。茶筒はそれ自体で上品な光沢を保ち、時を重ねるごとに深みを増す風合いに私たちを魅了してくれるでしょう。 20年以上愛用している我が家の茶筒、艶もしっかり残っています!色も深みを増していて、嬉しいですね。素敵ですよね!ご自宅に一個置いて、家族の一員として愛着を持っていただけたら嬉しいです。 見て!こちらが当店の茶筒です。とっても綺麗ですよ! 藤木伝四郎 桜文茶筒 藤木伝四郎 帯筒 茶筒 桜...

  • Happy spring, shincha season is around the corner! - yunomi-jp.pro

    嬉しい春ですね。新茶の季節がもうすぐやって来ます!

    (遅ればせながら)春分の日おめでとうございます! 新しい香りや植物の成長、緑や太陽の光、光に向かって伸びる花々など、何か楽しんでいますか?日本では、 春分の日(しゅんぶんのひ)は、春の訪れを告げ、自然と生き物の循環を畏敬の念と敬意をもって祝う国民の祝日となっています。 この時期はちょうど「お花見」の季節でもあり、家族や友人と様々な種類の桜、特にソメイヨシノの美しさを愛でるひとときです(幸子さんの「心で桜を感じ、食卓に桜を」もご覧ください)。実際、気象庁は今月22日に東京でソメイヨシノが満開になったと発表しました。残念ながら、今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、桜の木の下での恒例の社交的な集まりは控えるよう強く推奨されています。主要な公園ではピクニックを禁止する柵が設置されていますが、もちろん、花は美しいパフォーマンスを続けてくれるでしょう! 東京でソメイヨシノが開花。写真:岸田萌絵 Cerasus Campanulata (日本語: 寒緋桜 カンヒザクラ);写真提供: 梶原茶園 大津波と地震の10周年 桜が咲き誇る中、2週間前の3月11日は、東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0 )の10周年でした。この地震は東北地方に未曾有の被害をもたらしました。個人的には、あの年に出会った人々や思い出を改めて振り返りたい気持ちもありましたが、 2011年の漢字「絆」を思い出しました。これは人と人との繋がりを表しています。 2011年、国民投票で「今年の漢字」に「絆」が選ばれました。この悲痛な年、日本国民は国を挙げて、そして多くの国々からの支援を受けながら、地震と津波の被災者を支援しました。福島原発の放射能汚染の影響で、今もなお4万人以上が自宅に戻ることができていません。被災者は、特に心に深く刻まれた傷からの回復に苦闘しています。Yunomiの最新ニュースレターをまだ読んでいない方は、今月、この日を偲び、 ピースウィンズ・ジャパンへのマッチングファンド(最大10万円)を実施しています。 宮城県気仙沼湾、2011年4月19日。撮影:岸田萌絵。 岩手県陸前高田市、2011年春。写真:西健三 10年目の節目を迎え、ソーシャルディスタンスが求められる今の状況下で、私たちは皆、人との繋がりや触れ合いの不足、そして孤立感を強く感じています。一方で、家で過ごす時間が増えたことで、日本茶を飲む機会が増えた方もいらっしゃるかもしれませんね。そう、このパンデミックを通して、何か絆が深まったと感じませんか?家族、親しい友人、そしてもしかしたら日本の茶農家の方々との絆も深まったのではないでしょうか?この時代における「絆」という言葉の新たな解釈に、私はとても興味を持っています。 新茶シーズンまでカウントダウン! 最後に、前向きな気持ちで締めくくりましょう。春分の日、私は八十八夜(88日目)の半分(これを書いている時点では、まだ半分にも達していません!)に達したことに気づきました。八十八夜は新茶(新しいお茶/最初のフラッシュ)の季節の始まりを意味します。 改めておさらいすると、日本では「 八十八夜」は立春(つまり旧暦の2月2日または3日)から数えて88日目の夜を指します。西洋では、この時期はグラウンドホッグ・デー(グラウンドホッグの日)または聖ブリジット・デーとして知られています。日本では伝統的に、多くの人が農業に従事していました。そのため、八十八夜は、新茶の収穫や種まきを始め、農家にとって非常に忙しくなる時期を意味していました。 現在では、新茶は必ずしも八十八夜(5月2日頃)に収穫されるわけではありません。最初の摘み取り時期は、気象条件、茶園、地域、気候変動などによって異なります。実際、地域によっては最初の摘み取りが3月になることもあります。茶農家やお茶愛好家は今でも「八十八夜」という言葉を使い、一番茶は誰もが心待ちにしているものです。なぜなら、一番茶は最高のお茶とされているからです。一番茶は特別な新鮮さ、繊細さ、そして甘みがあり、夏の光へと誘う美しい呼び声です。茶の木が冬の間ずっと栄養を蓄えていたためか、他の収穫物よりも栄養価が高いのです…そう! 上島さん(上島製茶園)のような茶農家が戦士モードに入り始めるのはこの時で、 あゆみさん(ちっとらっつ)は収穫に忙しくなり、鳥のさえずりに耳を傾けるのを忘れてしまうのです。 春分は八十八夜(やしゅう)のちょうど中間点です。まだ月の周期が一周以上残っていますが、地球のリズムと調和した何かを楽しみに待つことができるのは、心地よく、心が安らぎます。母なる自然は時に非常に力強く、時に厳しいものですが、私は周囲に響き渡る春の新たなエネルギーに感謝しています。 2011年春、3月11日の余波の中で咲く花々 。宮城県七ヶ浜町。写真は岸田萌絵氏による。...

  • Tea History Shines into the Future - yunomi-jp.pro

    お茶の歴史は未来に輝く

    このブログ投稿はゲストのジミー・バーリッジ氏によるものです。彼は以前、 お茶と気候変動に関する記事を執筆しています。彼の植物研究は主に豆や種子に関するものですが、今回は茶貿易の歴史が現代にどのような影響を与え、お茶の未来のトレンドを解き明かす可能性を探ります。ジミーさん、ありがとうございました! 歴史を知ることで、私たちは現在に根ざし、今私たちがどこにいるのか、そしてどのようにしてここに至ったのかを理解するようになります。そして、それは未来の行動を促し、方向づけることにも繋がります。 この記事は、茶の栽培、加工、そして飲用が経済、政治、社会史とどのように絡み合っているかという関心から生まれたものです。焦点は日本ですが、インドと中国における出来事やプロセスとの関わりは特に重要です。最後に、多様な茶栽培が、文化的・精神的な恩恵をもたらしながら、気候危機への対応にどのように貢献できるかについて考察します。  だるま人形; 写真:ジミー・バーリッジ 種子の発芽 達磨の捨てられたまぶたが茶の木に育ち、エイアシが幸運な人々に茶の種を分け与えてからしばらく経ち、日本では茶を飲むことが庶民と上流階級の両方の生活の一部となりました。初期の時代、僧侶たちは儀式として、また瞑想の助けとして茶を栽培し、飲んでいました。13世紀までには、茶は上流階級の儀式に取り入れられるようになり、客が特定の茶の産地を推測するパーティーゲームとして使われることもありました。抹茶の儀式という形で茶文化は14世紀から15世紀にかけて発展し、政治や地位と富の誇示の場として機能しました。  この時代、王室の茶摘み人が領土内を巡り、抹茶の儀式に用いる貢茶を集めていました。庶民の間での茶の取引は限られており、ほとんどの愛飲家は自家栽培し、消費も地域限定でした。初期の庶民茶は、おそらく番茶のような現代の簡素な加工を施した民間茶に類似していたと考えられます。後に、鉄鍋で茶葉を乾燥させ、揉む技術が中国から導入され、現代の釜炒り茶に似た茶葉の生産に用いられました。 古代の茶園は、今日の私たちにはほとんど見分けがつかないでしょう。修道院の庭園には茶樹だけが植えられていたかもしれませんが、庶民の茶園では、おそらく一年草や、薪やその他の森林資源の採取に利用された半管理林が混在していたと考えられます。茶樹は交配種から育てられ、生育習性、成長速度、風味が異なる多様な品種が生まれました。茶は手摘みされ、少量ずつ加工されていました。おそらく、家族が料理に使うのと同じ道具が使われていたのでしょう。 現代の蒸し煎茶のルーツは、1738年に「宇治製法」として知られる、特殊な加熱台を用いて蒸し、手揉みする製法を開発した永谷宗円に遡るとされることが多い。この種類のお茶は、一般的な番茶よりも高品質でありながら、抹茶に比べて価格が安く、抽出や盛り付けに必要な道具も少ないため、一般の人々に親しまれていた。こうした新しい種類のお茶の普及に重要な役割を果たしたのは、1735年頃から京都を巡り歩き、茶を売っていた有名な芭蕉(または売茶翁)のような茶行商人であったと考えられる。 帝国と産業 1800年代後半から1900年代初頭にかけては、お茶が今日のように世界的に取引される商品へと変貌を遂げる上で、大きな転換期となりました。金融、労働力供給、そしてマーケティングにおける重要な発展が、お茶の世界的な影響力を可能にしました。1700年代後半以降、主に中国を原産とする大量のお茶が国際的に取引されてきましたが、この時期に起こったいくつかの重要な出来事が、その後の発展の背景となっています。  ケシの花( Papaver somniferum )。国際商品としてのお茶の歴史は、この花のエキスと深く結びついています。写真はジミー・バーリッジ撮影。 アヘン戦争(1839~1842年および1856~1860年)は、主にイギリス軍と中国の清朝が関与した戦争でした。この戦争は、イギリス帝国がインド植民地で生産されるアヘンを、銀ではなく絹や茶などの製品と交換しようとしたことに端を発しています。絹や茶はヨーロッパやアメリカ大陸で高額で転売されていました。これらの戦争により、中国は外国貿易業者に港を開き、茶などの製品と引き換えにアヘンを受け入れることを余儀なくされました。イギリス貿易業者は茶産業に足場を築くにつれ、「費用対効果」、つまりより安価な茶を要求しました。その効果は、複雑な金融システムを通じて、買い​​手や倉庫から茶工場や茶農家へと波及しました。 しかし、紅茶の人気が高まるにつれ、イギリスはインド植民地、特にアッサムで紅茶を生産する方が収益性が高いことに気づきました。1840年代以降、イギリス植民地におけるインドでの紅茶生産は、広大なプランテーションでの土地接収と強制労働を特徴とするようになり、中国よりも低コストでより多くの紅茶を生産することが可能になりました。労働力供給におけるこの「革新」の後、1880年代には機械化された乾燥、圧延、ふるい分け設備のおかげで、インド産紅茶の競争力はさらに高まりました。イギリスの紅茶会社はまた、インド産以外の紅茶の衛生状態や品質に疑問を投げかける、軽蔑的で時には人種差別的な広告を先駆的に使用しました。 1853年、米国政府の命令を受け、マシュー・ペリー提督は威圧的な軍艦隊を率いて日本沖に来航しました。これは第一次アヘン戦争におけるイギリスによる中国砲撃を彷彿とさせるものであり、日本が米国との貿易に門戸を開かなければ軍事力を用いるという明白な脅威でした。徳川幕府は貿易協定、市場改革、そして開港交渉を迫られました。これらの改革によってもたらされた困難と伝統的な権力構造の混乱は抵抗を促し、いわゆる明治維新へと繋がりました。1869年から、明治維新の指導者たちは日本の統一、近代化、経済の工業化、四島すべてにおける国家権力の確立、そして自らの条件で外界との交渉を行うことを目指しました。  明治天皇がほぼ完全な統治権を握った後も、幾度かの武士反乱(特に1877年の西南戦争)が、新政府による改革に異議を唱えました。武士階級への年貢の支払いを拒みながらも、彼らを鎮圧する必要があった明治政府は、静岡に茶園を開設するための土地を与えることで、一部の旧エリート層の再統合を図りました。多くの武士は熟練した農民にはなれませんでしたが、この地域は今日、茶の産地としてよく知られています。 熾烈な国際競争の時代、借金に苦しみ窮地に陥った多くの小規模農家は、外国人の「専門家」に唆され、収穫と加工を迅速化・低コスト化し、人工着色料を使って粗悪な茶葉を緑色に見せかけました。しかし、それでもなお、国内の高品質茶への需要の高まりに応えるため、高品質な茶葉の生産は続けられました。この時代の明るい成果の一つは、1835年頃から玉露に求められる遮光と蒸しの技術がさらに発展・普及し、1841年には更なる革新によって「宇治製法」がさらに洗練されていったことです。 明治時代(1868年~1912年)は日本の経済、政治、そして社会構造に劇的な影響を与えましたが、1880年代から1930年代にかけては、日本の産業革命の中心が製造業であったため、茶の輸出は比較的安定し、緩やかな推移を示しました。実際、税制の変化と負債の増加により農村部の人口は苦境に立たされ、多くの人々が工場での仕事を見つけられる都市部へと移住しました。日本は1915年頃に初めて茶切り鋏(袋の付いた生垣バリカンを想像してみてください)を導入しました。その後、茶葉の乾燥、選別、揉捻機が登場し、労働力不足にもかかわらず茶産業は存続することができました。 煎茶の葉をまっすぐな針状に成形する最終工程で使用される煎茶揉み機。写真:イアン・チュン 日本茶生産における二度目の劇的な転換は、第二次世界大戦後に起こりました。明治時代と同様に、日本政府は農業部門の近代化を図るため、財政・政治改革を余儀なくされました。日本の農業研究機関は、生産量の増加と地方経済の支援策として、より生育が早く、より活力のある近代的な品種の開発と試験を行い、その導入を積極的に奨励しました。多くの農家は、必要な融資を受ける条件として、これらの新しい品種に加え、化学肥料、除草剤、殺虫剤も受け入れざるを得ませんでした。戦後の都市部への人口集中に続き、1960年代には初の茶摘み機械が登場しました。1964年のオリンピック開催は、日本の農業改革者たちが、単一品種を均一に剪定した茶畑を広範囲に築く絶好の機会となりました。これは今日でも日本の茶畑の象徴となっています。 新しい根が成長する 1990年代以降、多くの茶農家が化学肥料と害虫駆除に依存した農法から脱却し、有機農法が再発見され、現代の状況に合わせて適応されました。高品質な有機茶の需要の高まり、機械化、そして凍霜害防止ファンや自動遮光などの技術の導入により、日本の茶生産者は高品質で有機栽培の茶にさらに特化できるようになりました。これらの革新により、これまで高品質茶の生産地として知られていなかった地域でも、現在では非常に高品質な有機栽培茶が生産されています。  少なくとも2000年代初頭以降、各都道府県は協同組合を組織し、お茶に県名を冠したブランドを付けるようになりました。これは、地域の認知度向上と、いわば県ブランドへの忠誠心の構築を目的としています。同時に、ワインと同様に、気候や土壌の持つ影響力を「テロワール」として捉える茶文化も生まれ始めました。 近年では、食品、チョコレート、コーヒーといった分野でも同様の動きが見られ、Yunomiが先導する「農場からカップへ」戦略が台頭しています。この動きにより、消費者はお茶の名前と顔を結びつけるだけでなく、お茶の個性を形作る特定の栽培システム、品種、加工技術についても知ることができます。こうしてテロワールの概念は深まり、同じ産地内でもお茶を差別化できるようになりました。 未来...